落札された侯爵令嬢、“番犬”の偏愛に困惑する

落札された侯爵令嬢、“番犬”の偏愛に困惑する

  • 発売日2024.04.26
  • 価格¥858(税込)

※価格や発売日はストアによって異なります。

私はあなたの××になりたい……

反体制派により王族が追われる混乱の中、何者かに攫われた侯爵家の令嬢シャーロット。気づけばオークションの目玉商品となっていた彼女は、颯爽と現れた青年に驚くほどの高値で落札される。その男は、没落前のシャーロットの家で父の従者をしていた青年で、シャーロットの初恋の人、アッシュだった。その後、彼の屋敷で共に暮らすことになったシャーロットだが、徹底的にお姫様扱いされて、何一つさせてもらえない。助けてくれた恩に少しでも報いたい彼女は、何かさせてほしいと懇願するが、彼の返答は驚くべき内容で――!?

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人物紹介

シャーロット

侯爵家の令嬢だったが、父が国王に諫言したところ、財産を没収されてしまう。使用人も雇えなくなったため家のことを自分でするようになる。

アッシュ

剣術大会で度々優勝しており、王家からも誘いがあったが、ある理由でシャーロットの家の従者となる。侯爵家を解雇されてからは友人の事業を営んでいる。

試し読み

「シャーロットさま、よろしければこちらでお寛ぎください」
 その後、アッシュが案内してくれたのは、いくつもの本棚が置かれた落ち着きのある部屋だった。
 シャーロットはおずおずと中に足を踏み入れ、ぐるりと辺りを見回す。
「……ここ…は?」
「書斎です。あまり数はありませんが、多少の気晴らしにはなるかと」
「まぁ、こんなにたくさん……」
「ほしい本があればおっしゃってください。手配しますので」
「い、いえ……っ」
 アッシュの言葉とは裏腹に、ずいぶん数が揃っている。
 シャーロットは一番近くの本棚の前に立ってタイトルを眺めていく。植物の本、動物の本に冒険ものの小説、子どもの頃によく読んだ童話集まである。そのどれもが自分の好みで手に取ってみたくなるものばかりだった。
「すごいですね。これ全部、アッシュが揃えたんですか?」
「えぇ、まぁ……。シャーロットさま、こちらの本などいかがですか?」
「あ、ありがとうございます」
 アッシュは本棚から一冊の本を取りだし、シャーロットに差しだす。
 ──懐かしい。この童話、大好きだったのよね……。
 ぱらぱらと捲っていくうちに、表紙がすり切れるほど何度も読み返したことを思いだし、知らず知らずのうちに頬が緩んでいく。
 けれど、文章を目で追いかけようとしたところで、シャーロットはハッと顔を上げる。
 これではただの『お客さま』だ。
 喜んでいる場合ではないと、慌ててアッシュにその本を返した。
「あのっ、お返しします」
「……お気に召しませんでしたか」
「あっ、違うんです! とても好きな本なのですが、今はその……」
「ではこちらの本はどうでしょうか?」
「いえ、その、本は……」
「そう…でしたか。ならば、お菓子はいかがですか?」
「え、お菓子?」
「クッキーにマカロン、いろいろございます。シャーロットさまもよく召し上がっていたでしょう」
 アッシュは受け答えしながら机に向かう。引き出しからお菓子が入った箱を次々取りだし、シャーロットに中を見せた。
 ──お、美味しそう……っ。
 シャーロットは思わず前のめりになり、ごくんと唾を呑み込む。
 没落してからというもの、お菓子なんて食べる機会はほとんどなかった。昨日から何も口にしていないことも重なって、お腹の虫がきゅううう…っと鳴ってしまった。
「や、やだ。ごめんなさい、私ったら……」
「シャーロットさま、もしやお腹が空いて……? 大変失礼しました。すぐにお食事を用意しますので、その間、こちらを召し上がっていてください。ほとんど準備できているので時間はそうかかりません」
「えっ、アッシュ? ま、待ってください」
「あぁそうでした。先に紅茶をお持ちしますね」
「紅茶? いえ、そうではなくて」
「では失礼します」
「ま、待ってください……ッ!」
 アッシュが一礼して部屋から出ようとしていたので、シャーロットはすかさず彼の袖を掴んで引き止めた。
 次から次へと人の喜ぶものを差し出すから誘惑に負けそうになったが、すんでのところで堪えられてよかった。今の自分は読書やティータイムを楽しむよりも、ほかにすべきことがあるのだ。
「私、今は本もお菓子もいりません」
「お気に召しませんでしたか」
「いいえ、大好きです」
「でしたら」
「えぇ、ですから、労働のあとの楽しみにさせていただこうと思います」
「……労働?」
「では、廊下の水拭きをしてきますね」
「シャーロットさまッ!?」
 折角の厚意を無碍にしてはアッシュの気を悪くしてしまう。
 シャーロットは譲歩のつもりで答えると、彼より先に部屋を出ていこうとした。食事までご馳走になるのなら、なおさら何もしないわけにはいかなかった。
「おっ、お待ちくださいッ、シャーロットさま……っ!」
「……あっ!?」
 すると、ドアノブに触れた途端、アッシュに手を掴まれる。
 突然のことに驚いて肩をびくつかせると、彼は珍しく慌てた様子で掴んだ手をぱっと離した。
「すみません!」
「……い、いえ……」
 シャーロットもドアノブから手を離し、熱くなった頬を隠すように俯く。
 彼に握られたほうの手が熱い。なんて大きな手だろう。
 ちらっとアッシュを見ると、彼は口元に手を当てていて、少しだけ動揺しているようにも感じられた。
 それから数秒ほど二人の間にぎこちない空気が流れたが、やがてアッシュは長めの前髪を掻き上げ、さり気なく扉を背にしてシャーロットに向き直った。
「……シャーロットさま、お願いですからそのようなことはお止めください。私はあなたに労働など求めておりません」
「そんな、それでは困るんです……っ。あんな大金、今の私にはとても返せそうもありませんし……」
「大金? あぁ、そんなことを気にしていたのですか」
「そんなことって、金貨五百枚ですよ!? 私、以前母から聞いたことがあるんです。侍女の一年間の手当てが金貨に換算して大体十五枚ほどだと……。単純に計算しても三十三年は働かないといけないんです! 今の私は侍女未満の働きしかできませんから、三十五年は働かないと……ッ」
 シャーロットは頭をフル回転させて力説する。
 アッシュはそれだけのことをしてくれたのだ。恩返しをするなら、それくらいの年月は覚悟しなければならないだろう。
「……シャーロットさま、私は別に金を返せなんて言うつもりはありませんから、どうか安心なさってください」
「なっ、何を言って……」
「正直に申し上げると、あのお金はハドソン家を辞めるときに旦那さまからいただいた退職金だったんです」
「え……?」
「しかし、私は特にお金に困っていたわけではありませんし、ただ金庫にしまっていただけだったので、むしろ使い道ができてよかったと思っているほどで……。私は旦那さまから馬もいただいていますから、それだけで十分過ぎるほどだったんです」
「……そ、そんなわけ……」
 シャーロットは真っ青になって息を震わせる。
 あの金貨がそんなに大事なものだなんて思いもしなかった。
 ならば、余計に自分などのために使わせるわけにはいかない。父はアッシュの今後の人生の助けになるようにあの金貨を渡したはずだ。
「アッシュ、今はいらなくても、きっといつかまとまったお金が必要になるときが来るはずです。あなただって、いずれは結婚…、するでしょうし……。今だって、あなたの……、こ…、恋人…が、自分以外の女性のために大金を使ったと知ったら悲しむに違いありません……」
「恋人…ですか? 私には悲しませるような相手がいないのでご心配には及びません。口下手なので、結婚相手が見つかるかどうかもわかりませんし……」
「そ、そうなんですか?」
「えぇ、ですので安心してください」
 なんだ、そうだったのか。
 アッシュには恋人がいないのか……。
 彼の言葉を聞いて、シャーロットの心がふわっと軽くなる。
 だが、すぐにハッと我に返り、ふるふると首を横に振って言い返した。
「だっ、だからって何も返さなくていいことにはなりません……っ」
「そう言われましても」
「それに私、助けてもらった恩も返せないなんて、自分で自分が許せません。アッシュ、お願いですから何もしないでいいなんて言わないでください。今の私には、あれほどの大金に見合う価値がないことくらい自分でもわかっているんです……。ですから、どうか恩返しをさせてください。私にできることなら、なんでもしますから……」
「シャーロットさま……」
 シャーロットが身を乗り出して訴えると、アッシュは戸惑い気味に眉をひそめた。
 考えあぐねているのか、それきり口を噤んで黙り込んでしまったので、シャーロットはすかさず彼の横に回ってドアノブを掴んだ。こうなったら、自分が『できる』ところを見せるしかないと、廊下の水拭きをしに行こうとしたのだ。
「──ッ!? わっ、わかりました!」
 その直後、アッシュはシャーロットの手を慌てて掴み取った。
 タイミング的に見て、外に出られないように動きを封じようとしたのだろうが、彼は『わかりました』と言っていた。頑なに拒絶していたことを思えば、譲歩を感じさせる一言だった。
「わかりました。そこまで仰るなら仕方ありません……」
「では、恩返しをさせてもらえるのですね!?」
「……えぇ、まぁ……」
 シャーロットが目を輝かせると、アッシュはなぜか曖昧に返事をする。
 しばし部屋に沈黙が流れたが、彼は深く息を吐いて部屋の中央に置かれたソファへと向かう。その顔は若干強ばっていて、彼はぎこちない動きでソファに座った。
「シャーロットさま、ここにお座りいただけますか?」
「あ、はい」
 シャーロットは素直にソファに歩き出す。
 恩返しの内容について話し合うのかと思い、アッシュの手前に置かれたもう一つのソファにちょこんと腰掛けた。
 ところが──、
「そこではありません。私は、ここにお座りくださいと言ったのです」
「……え?」
 アッシュはゆっくり首を横に振り、とんとんと指を差す。
 ──どういう…こと……?
 シャーロットは思わず固まってしまう。
 アッシュが指を差した場所は彼の膝の上だったからだ。

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